絵画「三河大草駅にて」

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この絵画は50年以上前に廃止になった豊橋鉄道田口線の木造車両とホーム跡を描いたものである。

 

廃線跡を訪ね、JR飯田線本長篠駅から大井川に沿う山あいの道を歩くこと約40分。地図を頼りに、さらに、くねくねと続く小径を高台に向けて登っていった。

すると、山の岩盤を貫く形でうす暗いトンネルが口をぽっかりと開けているのが見つかった。地図はその先を指している。不気味で引き返そうかと躊躇したものの、怖いもの見たさもあり、中に歩み進めてみることにした。

ひんやりと薄暗いトンネル。自身の足音がコツコツとこだまし、天井からは水滴が滴り落ちてくる。先の明かりが少しずつ大きくなっていき、トンネルを抜けると視界が開けた。

 

そこには、何とホーム跡があった。それが、かつて存在していた豊橋鉄道田口線の三河大草駅の跡だと分かった。

今から50年以上前、本長篠駅と北設楽郡設楽町の三河田口駅の間は、豊橋鉄道田口線という鉄道が結んでおり地元の人々や木材を運び走っていた。

しかし、林業の衰退やモータリゼーションの波には勝つことができず、さらに台風の被害にも遭って、昭和43年(1968年)に同線の廃線とともに、駅も廃止となったという。

線路は既に撤去されており、ホームの先は鬱蒼とした木々で覆われている。当時、このホームに人々が行き来していたのかと思うと、何ともいえない気持ちになった。

その後、当時の木製車両を保存する「道の駅したら」にも取材に訪れ、三河大草駅のホーム跡に停まっている構図で絵として描いた。

長い年月が流れても、絵では再現できるものがある。昔をなつかしんでくれる方がひとりでもいれば幸いである。

桜の木々と廃線した蒲原鉄道線の車両

「桜の木々と廃線した蒲原鉄道線の車両 」

 


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この絵画は、1990年代に日本の新潟県五泉市に走っていた鉄道車両と桜の木々を描いた作品である。

かつて、五泉市には、蒲原鉄道線という鉄道が走っていた。1923年に開業し、地元住民の足としてのほか、穀物や鉱石を運搬する役割も担っていたと伝えられている。ところが、過疎化による乗客の減少やマイカーの普及などにより、1999年に77年間にわたる鉄道としての役割を終えた。

桜の季節、私は蒲原鉄道線の廃線跡を訪ねて、五泉市に向かった私。五泉駅から路線バスに乗って30分ほど揺られると、村松城跡公園にたどり着く。

 

公園内には桜の花が華やかに咲き誇っていた。そして、その一角には、かつて活躍していた蒲原鉄道線の車両がひっそりと置かれていた。まるで、今にも動き出しそう。

 

公園の脇からは廃線跡が続いていた。廃線跡からレールは既に撤去されていたものの、ホーム跡や枕木が残されている地点も見られた。かつて鉄道が走っていた時代の風景を思い浮かべつつ、この絵画を制作した。

 

(「蒲原鉄道線と村松城跡の桜」2022年制作 F10号水彩 絵と文:井上晴雄)

絵画「新緑をゆく木曽森林鉄道の列車」

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今回の絵画は、かつて長野県の木曽地方を駆け抜けた木曽森林鉄道の列車を描いた作品である。

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木曽森林鉄道は、木曽ヒノキをはじめとする木材運搬のために、大正時代に敷設された鉄道だ。大正5年(1916年)、長野県の上松と赤沢間に小川線が開通したのを皮切りに王滝線、小木曽線など、次々とレールが敷かれた。そして、網の目のように張り巡らされた路線の総延長は、全盛期で400kmに及ぶ規模に達したと伝えられている。

役割においても木材運搬のほか、山林に住む住民の足としても欠かせない存在になっていた木曽森林鉄道。しかし、日本国内が高度成長期を迎え、運輸環境は鉄道からトラックへと変遷。そして、昭和50年(1975年)、王滝線の廃線をもって、惜しまれながらも木曽森林鉄道はその役割を終えることになる。

廃線となった後も木曽森林鉄道の車両保存を望む声が多く上がった。それを受け、赤沢自然休養林に森林鉄道記念館が建設。車両の保存がなされるとともに、昭和62年(1987年)より全長2.2kmの赤沢森林鉄道が誕生し、観光客らを楽しませる役割を担いながら、現在に至る。 

春が到来すると、木曽の山々は新緑のやわらかい黄緑色に包み込まれる。小川には清流が流れ、梢には野鳥の声。そんな風景のなかをガタゴト音を立てながら森林鉄道の列車は駆け抜けていく。今回、木材を運搬していた往年の姿をイメージしつつ絵で再現してみた。

(「新緑をゆく木曽森林鉄道の列車」絵と文:井上晴雄/2024年制作/F10号水彩)

絵画「谷汲駅にて」

絵画「谷汲駅にて」            絵と文 井上晴雄
6060 谷汲駅は、かつて岐阜県の黒野~谷汲間11.2㎞を結んでいた名鉄谷汲線の終着駅である。同線は、谷汲山華厳寺へのアクセス鉄道として重要な役割を担い、春は桜、秋は紅葉を愛でる観光客たちを乗せて走っていた。

 

しかし、モータリゼーションの波などの影響により、2001年10月、たくさんの人に惜しまれながらも廃線に追い込まれた。それからちょうど20年。現在は、ボランティアの方々の尽力により、駅舎や一部車両が大切に保管され、静かな時を刻んでいる。

 

(F10号 絵画「谷汲駅にて」2021年制作)

 

絵画「南阿蘇鉄道のトロッコ列車」

「南阿蘇鉄道のトロッコ列車」

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南阿蘇鉄道は、1985年に旧国鉄高森線を引継ぎ誕生した第三セクター鉄道である。阿蘇山を縫って走る壮大な車窓風景が美しいことで長らく人気を博してきた。

 

ところが2016年に起きた熊本震災で同線は被災。崖崩れによる線路崩壊や橋の崩落、トンネルへの土砂の流入などに見舞われ、全線不通になった。それから歳月を経て、現時点で中松駅〜高森駅間7.1kmが部分復旧している。立野駅〜中松駅間10.6kmは依然不通であるものの、2023年を目標に全線復旧を目指して工事が行われている。沿線に住む住民たちのためにも最後まであきらめない姿勢に力強さを感じ心打たれた。

 

3月末にもなると中松駅のホームは淡い春色に包まれる。駅舎に沿って並ぶ桜の木々にはほのかなピンク色をした花々が咲き誇り、人々の心をほころばせてくれる。
   (「南阿蘇鉄道のトロッコ列車」絵と文 井上晴雄/f10水彩)

絵画「秋の田圃と美作滝尾駅」

絵画「秋の田圃と美作滝尾駅」

 

 

 

先日、岡山県の県北に足を運ぶ機会があった。

 

 

津山駅でJR因美線を走るディーゼルカーに乗り換え、中国山地の山ひだを3駅ほど行くと、美作滝尾という小さな駅にたどりついた。

 

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美作滝尾駅は木造の無人駅で、昭和3年に開業した当時の姿をとどめている。数人の乗客が降りて列車が走り去っていくと、駅舎は沈黙に包まれた。黒光りするベンチ、瓦葺きの切妻屋根ほかまるでタイムスリップしたかのよう。次の列車は4時間後にしかやってこない。

 

 

駅舎のホーム側に出るとのどかな田園風景が広がっていた。色づきはじめた中国山系の山々を背景に、黄金色の稲穂が秋風に揺れている。そんな穏やかなひとときを絵に描いてみた。

 

 

(「秋の田圃と美作滝尾駅」 絵画と文 井上晴雄 2018年制作 F10号)

絵画「SL北びわこ号と蕎麦畑」

 

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昭和50年に国鉄からSLは一度消滅したが、その旅情を再びと、近年観光列車としてSLの復活運転をしている地域も増えている。

そのひとつが滋賀県の米原駅~木之本駅間を結ぶSL北びわこ号である。

SL北びわこ号は米原駅を後にすると、伊吹山を東に望む琵琶湖畔を北上していく。姉川や小谷城跡など戦国武将の夢の跡が点在する山々に汽笛を響かせ、河毛駅を過ぎると窓外には、畑一面がまるで白い絨毯のような風景が広がった。

蕎麦の花畑である。白い花弁をつけた可憐な蕎麦の花々が畑一面。その風景を見下ろしながら、SLは煙を吐きながら力強く走り過ぎ去っていった。

新しく利便性の高いものが重宝される時代、古いものは時代とともになくなっていくが、心のどこかに大切にしまっておきたいと思った。

絵画「立山連峰を車窓に映す富山地方鉄道の電車で宇奈月温泉へ」

 「立山連峰を車窓に映す富山地方鉄道の電車で宇奈月温泉へ」

                    絵と文   井上晴雄

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ある穏やかな日、10数年ぶりに富山県黒部市にある宇奈月温泉に足をのばした。北陸新幹線を富山駅で下車し、隣接する電鉄富山駅から富山地方鉄道の宇奈月温泉行に乗り込む。

 

昭和50年代に登場した富山地方鉄道の14760形電車は、モーター音を上げながら市街地を走り、稲荷町駅から線路は単線になった。越中荏原駅を過ぎると常願寺川に架かる鉄橋をガタゴト渡っていく。ふと右車窓に目を遣ると、田畑の向こうに雪をかむった雄大な山々が連なっているのが見えた。立山連峰だ。その主峰にあたる立山は標高3015mの大汝山はじめ3000m級の峰々から成る。その圧倒的なスケールと稜線の美しさを見て心躍った。

 

穀倉地帯を縫い、上市駅にてスイッチバック方式で進行方向を変えると、次は日本海沿岸に向けて北上していく。ホタルイカ漁が盛んな滑川や蜃気楼の名所として知られる魚津のまちなみを駆け抜け、左車窓には時折日本海も顔をのぞかせる。右車窓には依然、残雪の立山連峰がまるで屏風を立てたように連なっていた。黒部市宇奈月町に入ると次第に山深くなる。谷間にコバルトブルーの黒部川が流れるのを見ながら音沢駅から渓谷に沿う急勾配をのぼっていくと、列車は終点の宇奈月温泉駅に到着した。

 

宇奈月温泉駅は閑静な山々に囲まれた黒部峡谷の玄関口に立っていた。駅前では温泉噴水が湯けむりを上げ、渓谷沿いを中心に温泉宿が軒を連ねる。宇奈月温泉は黒部峡谷の電源開発に伴い、黒部川上流の黒薙温泉から引き湯をして大正12年に開湯。「美肌の湯」ともいわれるその湯は無色透明の弱アルカリ性単純泉でやさしくなめらかだ。魚介類の宝庫である富山湾にもほど近いことから、新鮮な海山の幸を味わえるのも宇奈月温泉の魅力である。

 

宇奈月温泉駅から山側に5分ほど歩くと黒部峡谷鉄道の起点である宇奈月駅があり、黒部川上流にレールはつづいている。レールの先に広がる美しい景色を探し求め、旅はまだまだつづいていく。

 

(「立山連峰と富山地方鉄道の電車」 絵と文 井上晴雄/『旅の眼115号』掲載)

 由良川橋梁を渡り日本三景の天橋立へ ~京都丹後鉄道(丹鉄)でゆく列車旅~

「由良川橋梁を渡り日本三景の天橋立へ」~京都丹後鉄道(丹鉄)でゆく列車旅~(絵と文 井上晴雄)  

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 海と山に囲まれ、神代の物語が伝わる京都府北部エリアはロマンあふれる地だ。京都府北部エリアといえば、日本三景「天橋立」のある宮津市はじめ5市2町を圏域とする「海の京都観光圏」が国の認可を受け国内外から注目を集めている。同観光圏内の交通手段として大きな役割を担うのは京都丹後鉄道(丹鉄)だ。先日、そんな京都丹後鉄道宮舞線・宮豊線の普通列車に揺られ天橋立へ向かう旅に出た。

西舞鶴発豊岡行の気動車は、山々に挟まれた田園地帯をゴトゴト西へ走っていく。駅前の枝垂れ桜が美しい四所駅や「安寿の里駅」の愛称を持つ東雲駅に停まり、丹後神崎駅を出ると列車は山すそのカーブを舞い、第1の絶景ポイントである由良川橋梁に差し掛かる。由良川橋梁は大正13年に完成した全長552mの単線橋梁だ。一直線にのびる橋を進むにつれ、車窓いっぱいに由良川の川面が広がった。まるで海上を走っているようだ。

丹後由良駅から列車は海沿いに高台へ上がり第2の絶景ポイントである奈具海岸を右車窓の眼下に映しだす。紺碧の栗田湾と入り組んだ海岸線の構図が美しい。栗田駅からトンネルを抜けると宮津駅。江戸時代の風情香る市街地には宮津温泉ピント湯が湧き、「宮津温泉 料理旅館 茶六別館」はじめ名宿が並ぶ。宮津駅からひと駅行くと日本三景「天橋立」の最寄り駅である天橋立駅に到着する。

駅前から智恩寺の門前町を辿ると天橋立のたもとに出た。宮津湾と阿蘇海を分ける形で3.6kmに及ぶ砂嘴が一直線にのび、美しい白砂青松の風景が展開。かつて国生みの神である男神イザナギノミコトが女神イザナミノミコトのもとに通うため天上から梯子をかけ、それが倒れて天橋立になった・・。そんなロマンチックな神話が現地に伝わる。

 天橋立を歩いた後、天橋立運河の畔で湯けむりを立てる老舗温泉宿「文珠荘」に立ち寄った。天橋立の神話に思いを馳せながら、同宿の茶庭風露天風呂に浸かる。その澄んだやさしい湯は旅の疲れをゆっくり癒してくれた。

(由良川橋梁を渡り日本三景の天橋立へ ~京都丹後鉄道(丹鉄)でゆく列車旅~ 絵画と文 井上晴雄/『旅の眼123号』掲載

 

8月6日と広島電鉄の路面電車(絵画と文 井上晴雄)

「8月6日と広島電鉄の路面電車」(絵と文 井上晴雄) 

数年ぶりに広島を訪れた。大都市の多くでは昭和30年代からのモータリゼーションの波を受け路面電車は消滅したが、広島市では健在だ。

広島駅電停から広島電鉄の路面電車にゴトゴト揺られ、近代化された街並みをゆくこと約20分。原爆ドーム前電停で降車すると、緑に囲まれ立つ原爆ドームを前に人々が手を合わせていた。原爆ドームのある現在の平和記念公園一帯は、かつては賑やかな繁華街だったと聞く。呉服屋や料亭、映画館などが連なり、たくさんの笑顔が行き交っていたのだという。

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しかし、ときは194586日午前815分、広島上空より米軍のB-29爆撃機エノラ・ゲイが原子爆弾を投下しその風景は一変した。白閃光とともに強烈な爆風と衝撃波が起き、まちは焦土と化し多くの尊い命が失われた。現在の原爆ドームにあたる広島県産業奨励館はレンガ壁と天井ドームの鉄骨を残して崩れ去った。

 

そのとき、広島電鉄の路面電車はラッシュ時だった。爆心地付近を走行中の車両は全焼大破。支柱は倒壊し全線不通となった。そんな絶望的な状況のなか、広島電鉄の社員らは、人や物資を運ばねばならないという使命感のもと懸命に復旧作業を進めた。そして被爆から3日後、一部区間での復旧運転に奇跡的にこぎつけた。荒廃したまちを馴染ある路面電車が走るさまを見て、市民は大いに勇気づけられたという。

 

それから70年余りのときが流れた2016527日、オバマ大統領が米国の現職大統領として初めて平和記念公園に訪れた。そして、原爆死没者慰霊碑に献花し哀悼の意を示した。歴史的な一歩だと多くの歓迎の声が上がった。

核兵器のない平和な世界を築いていくには時間がかかるかもしれない。ただ、広島の歴史を各々が知り、想像力を養いながらそれを未来に伝えていくことで実現できる日が来ると信じたい。復興のシンボルとして市民を勇気づけてきた広島電鉄の路面電車。今日もたくさんの人々を乗せ、広島市内を力強く走りつづけている。

   (「86日と広島電鉄の路面電車」 絵画と文 井上晴雄/『旅の眼124号』掲載

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