絵画「収穫時の大豆畑」~北海道千歳市にて~
「千歳・支笏湖氷濤まつり」
絵と文 井上晴雄
千歳市の南西部に広がる、日本屈指の高い透明度を誇る湖、支笏湖。「日本最北の不凍湖」としても知られる淡水湖である。その澄んだ湖水は淡いブルーを帯びていることから「ナチュラルブルー」とも称される。
支笏湖の湖畔では、毎年1月下旬から2月中旬にかけて、支笏湖の湖水を凍らせた氷像群による光と氷の祭典「千歳・支笏湖氷濤まつり」が開催される。「千歳・支笏湖氷濤まつり」の会場となる支笏湖の湖畔へは、千歳市街から道央道を16号経由で西へ30kmほど。
「千歳・支笏湖氷濤まつり」の会場に訪れた日、白樺やエゾマツの林を縫い支笏湖畔にたどり着いた頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。薄暗がりを抜けていくとその先に、色とりどりの光に輝く巨大な氷像群が目に飛び込んできた。
黄色、ピンク色、水色・・色鮮やかな光が、透きとおった氷のモニュメントに投射され、やさしく光り輝いている。そのなんともいえないメルヘンチックな光景はあまりに美しく、底冷えする寒さも忘れしまうほどだった。
「千歳・支笏湖氷濤まつり」の会場に並ぶ氷像群は前年11月よりその骨組みがつくられる。12月になると、スプリンクラーを使って支笏湖の湖水をそれらに吹きつけ凍らせていく作業が行われる。その丹念な作業の繰り返しにより、巨大な氷像群が形づくられていくのだ。
「千歳・支笏湖氷濤まつり」の会期中、完成した氷像群は、昼は淡いブルーに輝き、日が暮れると芸術性を感じさせる幻想的なムードで来場者を迎えてくれる。その美しい光景に見とれているうちに、天空からはしんしんと雪がやさしく舞いはじめた。
2015年「千歳・支笏湖氷濤まつり」DATA
(2015年の会期)2015年1/30日~2/22日
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※当絵画は、2014年、千歳観光連盟に寄贈しました
「ルタオ本店」(メルヘン交差点に立つ小樽の親愛なる塔」 絵と文 井上晴雄
小樽(北海道小樽市)は、明治時代末期か昭和時代初期にかけて、流通の拠点として栄えた港町。当時「北のウォール街」とも称されさまざまな国の商船が出入りしたまちには、エキゾチックな雰囲気の建物が点在している。
そのひとつとして知られるのは 小樽市内の堺町本通り南端「メルヘン交差点」に面して立つLeTAO(小樽洋菓子舗ルタオ)の本店。「小樽の親愛なる塔」と名付けられたそのそのクラシカルな外観は、メルヘン交差点のシンボル的存在となっている。
日が暮れると「メルヘン交差点」の界隈はさまざまな色彩の光に彩られ、より幻想的なムードに。常夜灯にあかりが点り、ルタオ本店からはあたたかい明かりが窓から漏れはじめる。
「北の大地に根ざしたお菓子全国へ届けたい」をスローガンにルタオ本店が小樽市にてオープンしたのは、1998年のこと。
その看板商品として開発されたチーズケーキ「ドゥーブル・フロマージュ」は、今やテレビや雑誌などに常に取り上げられ、全国的に知られるスウィーツとなった。
「ルタオ ドゥーブルフロマージュ」は、クリームチーズのべイクドチーズケーキとマスカルポーネチーズのレアチーズムースの二層構造になっているチーズケーキ。上からカステラ粉がまぶされ、しっとりしたチーズの香りと濃厚なクリームのコラボレーションを楽しむことができる。
ルタオスウィーツには、チーズケーキ「ドゥーブル・フロマージュ」の他にもチョコレート、ロールケーキなどさまざまなスウィーツが加わっている。
当初は北海道のみで販売されていたルタオスウィーツだが、北海道の物産展などであまりに反響が大きかったため、冷凍技術の開発により、現在では、通販や大阪や東京などの有名デパートでの催事などでも販売されるようになった。
チーズケーキ「ドゥーブル・フロマージュ」はじめルタオスウィーツは、子供から大人まで楽しめるやさしい味わい。クリスマスや年末にご家族やお友達と団欒のひとときを楽しむデザートとしても最適である。
通販>>LeTAO(小樽洋菓子舗ルタオ)
「函館の夜景」 (北海道 函館市)
<絵画と文 井上晴雄
ロープウェイが高度を上げるととともに、木々の隙間からこぼれる市街地の灯りが、キラキラとまたたきはじめた。 函館 ならではの、扇状の地形があらわれたかと思うと、それは、ダイヤモンドを散りばめたような光の渦となって、ドラマチックに広がっていった。あまりの美しさに、思わず息を呑んだ。
函館は、北海道の南西部に位置する、落ち着いた雰囲気の港町。かつて、本州や海外からの船が、頻繁に入港して栄えたといわれている。幕末の函館港開港時には、各国の商船が来航したほか、明治41年(1908年)からは、青森より青函連絡船が入港して北海道の玄関口としての機能も果たした。当時、函館の空に、重厚な汽笛がこだまさない日はなかったという。 それから80年経った昭和63年(1988年)のこと。青函トンネルの開業に伴って、青函連絡船は、その役目を終えて、津軽海峡から姿を消した。以降、函館は次第に、歴史情緒の漂う閑静なまちへと変化していくことになる。
時代が流れるとともに、街並みや人も変わっていく。それは、寂しいことかもしれない。ただ、長い歴史が紡ぎだした「まちの明かり」というものは、いつの時代も、何とあたたかく、美しいことか。そこには、「人々が生きた証」が刻まれているように思う。静かにきらめ函館の市街地を俯瞰しているうちに、私も一生をかけて、まちを美しく彩る、ひとつのやさしい光になりたいと思った。
※ 函館は、香港 、ナポリと並ぶ「世界三大夜景」のひとつ →地図(北海道 函館)
(絵画と文:井上晴雄/2008年1月制作/日本の風景/日本) ※当絵画は2015年、寿スピリッツグループに寄贈しました
「津軽海峡の朝陽」絵画と文:井上晴雄。
青函トンネルを抜けた列車は、北海道に入った。雪を被ったなだらかな山々と小さな田畑の先に、海が見え隠れしはじめる。JR木古内駅付近にさしかかったとき、鈍色の空からほのかな光が、差し込んでいるのが見えた。どことなく懐かしい思い出がよみがえり、途中下車した。 改札口を出ると、厳しい風雪が吹き荒れ、まちは厚い氷に閉ざされていた。あまりの寒さに身震いした。このまま駅に戻ろうかと思ったものの、空の光をたよりに、雪を踏みしめながら、浜辺のほうに歩いていった。 烈風に逆らって砂浜に出ると、その向こうに、明るい海が広がっていた。静かに打ち寄せる波がキラキラ輝き、沖はやさしい光に包まれていた。一艘の船が、ゆったりと弧を描いて進んでいる。気がつくと、寒さを忘れて、その穏やかで美しい光景に見入っていた。それは、凍てつく北海道の冬だからこそ、より一層、あたたかく掛けがえのないものに感じたような気がする。 現代の社会では、私たちの一生は、順風満帆に進むのがよしと考えられがちである。しかし、私は、それが必ずしも良いとは限らないように思う。むしろ、困難や試練に直面するからこそ、ちいさな幸せにより大きな幸せとして味わえる機会もあるような気がするからである。例えば、風雪のなかで見た、この朝陽のように。
「津軽の海」(2008年1月制作/風景/絵画と文:井上晴雄。/F10号)
井上晴雄の絵画を使った銘菓「黒豆ラングドシャ」好評発売中です
井上晴雄の絵画「黒豆畑と青空」が 、チョコレート菓子「黒豆ラングドシャ」のパッケージになりました。黒豆の粉をまぶしたビスケット風の生地に、ほんのり甘いミルクチョコレートが入っているお菓子です。
お菓子のフタを開けたら、内パッケージに印刷されている当絵画が現れるようになっています。黒豆畑の風景を描いた絵画を眺めながら、お菓子の美味しさをゆっくりと味わっていただければという、思いを込めています。
以下、「黒豆ラングドシャ」を販売している実店舗です(2013年7月現在)
・荒湯観光センター(新温泉町 土産屋) ・株式会社井筒屋(新温泉町・旅館) ・株式会社朝野屋(新温泉町・旅館) ・但馬牧場公園(新温泉町・施設) ・ハートイン福知山(京都府福知山市・キヨスク) ・株式会社ドライブインやくの(京都府福知山市・ドライブイン) ・株式会社フレッシュあさご(兵庫県朝来市・道の駅) ・株式会社HOTEL KOSHO(兵庫県豊岡市・ホテル) ・ドライブインやまがた屋(京都府・ドライブイン)
(以上 敬称略)
「小樽運河の冬」 絵と文 井上晴雄. 来る日も来る日も降りつづいた雪がようやくやんだ。小樽運河に出ると、大気は澄みわたり、辺りはしんと静まりかえっていた。ガス灯のあかりを受けて、雪景色が幻想的に浮かびあがり、重厚な石造倉庫群とともに、鏡のような水面に映しだされていた。 小樽は、石狩湾に面し、古くから港湾都市として発展したまち。明治時代から大正時代にかけて、豪商たちが倉庫を構え、世界への門戸が開かれていたことでも知られる。大正12年(1923年)に完成した小樽運河は、艀(ハシケ)とよばれる小型船が、小樽港の本船からの貨物を運ぶためにつくられた運河だ。 今ではその役割を終えたものの、小樽運河はその当時をしのぶレトロな街並みを水面に映しながら、旅人たちに、小樽の歴史を、優しく語りかけているのである。