絵画「立山連峰を車窓に映す富山地方鉄道の電車で宇奈月温泉へ」

 「立山連峰を車窓に映す富山地方鉄道の電車で宇奈月温泉へ」

                    絵と文   井上晴雄

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ある穏やかな日、10数年ぶりに富山県黒部市にある宇奈月温泉に足をのばした。北陸新幹線を富山駅で下車し、隣接する電鉄富山駅から富山地方鉄道の宇奈月温泉行に乗り込む。

 

昭和50年代に登場した富山地方鉄道の14760形電車は、モーター音を上げながら市街地を走り、稲荷町駅から線路は単線になった。越中荏原駅を過ぎると常願寺川に架かる鉄橋をガタゴト渡っていく。ふと右車窓に目を遣ると、田畑の向こうに雪をかむった雄大な山々が連なっているのが見えた。立山連峰だ。その主峰にあたる立山は標高3015mの大汝山はじめ3000m級の峰々から成る。その圧倒的なスケールと稜線の美しさを見て心躍った。

 

穀倉地帯を縫い、上市駅にてスイッチバック方式で進行方向を変えると、次は日本海沿岸に向けて北上していく。ホタルイカ漁が盛んな滑川や蜃気楼の名所として知られる魚津のまちなみを駆け抜け、左車窓には時折日本海も顔をのぞかせる。右車窓には依然、残雪の立山連峰がまるで屏風を立てたように連なっていた。黒部市宇奈月町に入ると次第に山深くなる。谷間にコバルトブルーの黒部川が流れるのを見ながら音沢駅から渓谷に沿う急勾配をのぼっていくと、列車は終点の宇奈月温泉駅に到着した。

 

宇奈月温泉駅は閑静な山々に囲まれた黒部峡谷の玄関口に立っていた。駅前では温泉噴水が湯けむりを上げ、渓谷沿いを中心に温泉宿が軒を連ねる。宇奈月温泉は黒部峡谷の電源開発に伴い、黒部川上流の黒薙温泉から引き湯をして大正12年に開湯。「美肌の湯」ともいわれるその湯は無色透明の弱アルカリ性単純泉でやさしくなめらかだ。魚介類の宝庫である富山湾にもほど近いことから、新鮮な海山の幸を味わえるのも宇奈月温泉の魅力である。

 

宇奈月温泉駅から山側に5分ほど歩くと黒部峡谷鉄道の起点である宇奈月駅があり、黒部川上流にレールはつづいている。レールの先に広がる美しい景色を探し求め、旅はまだまだつづいていく。

 

(「立山連峰と富山地方鉄道の電車」 絵と文 井上晴雄/『旅の眼115号』掲載)

 由良川橋梁を渡り日本三景の天橋立へ ~京都丹後鉄道(丹鉄)でゆく列車旅~

「由良川橋梁を渡り日本三景の天橋立へ」~京都丹後鉄道(丹鉄)でゆく列車旅~(絵と文 井上晴雄)  

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 海と山に囲まれ、神代の物語が伝わる京都府北部エリアはロマンあふれる地だ。京都府北部エリアといえば、日本三景「天橋立」のある宮津市はじめ5市2町を圏域とする「海の京都観光圏」が国の認可を受け国内外から注目を集めている。同観光圏内の交通手段として大きな役割を担うのは京都丹後鉄道(丹鉄)だ。先日、そんな京都丹後鉄道宮舞線・宮豊線の普通列車に揺られ天橋立へ向かう旅に出た。

西舞鶴発豊岡行の気動車は、山々に挟まれた田園地帯をゴトゴト西へ走っていく。駅前の枝垂れ桜が美しい四所駅や「安寿の里駅」の愛称を持つ東雲駅に停まり、丹後神崎駅を出ると列車は山すそのカーブを舞い、第1の絶景ポイントである由良川橋梁に差し掛かる。由良川橋梁は大正13年に完成した全長552mの単線橋梁だ。一直線にのびる橋を進むにつれ、車窓いっぱいに由良川の川面が広がった。まるで海上を走っているようだ。

丹後由良駅から列車は海沿いに高台へ上がり第2の絶景ポイントである奈具海岸を右車窓の眼下に映しだす。紺碧の栗田湾と入り組んだ海岸線の構図が美しい。栗田駅からトンネルを抜けると宮津駅。江戸時代の風情香る市街地には宮津温泉ピント湯が湧き、「宮津温泉 料理旅館 茶六別館」はじめ名宿が並ぶ。宮津駅からひと駅行くと日本三景「天橋立」の最寄り駅である天橋立駅に到着する。

駅前から智恩寺の門前町を辿ると天橋立のたもとに出た。宮津湾と阿蘇海を分ける形で3.6kmに及ぶ砂嘴が一直線にのび、美しい白砂青松の風景が展開。かつて国生みの神である男神イザナギノミコトが女神イザナミノミコトのもとに通うため天上から梯子をかけ、それが倒れて天橋立になった・・。そんなロマンチックな神話が現地に伝わる。

 天橋立を歩いた後、天橋立運河の畔で湯けむりを立てる老舗温泉宿「文珠荘」に立ち寄った。天橋立の神話に思いを馳せながら、同宿の茶庭風露天風呂に浸かる。その澄んだやさしい湯は旅の疲れをゆっくり癒してくれた。

(由良川橋梁を渡り日本三景の天橋立へ ~京都丹後鉄道(丹鉄)でゆく列車旅~ 絵画と文 井上晴雄/『旅の眼123号』掲載

 

8月6日と広島電鉄の路面電車(絵画と文 井上晴雄)

「8月6日と広島電鉄の路面電車」(絵と文 井上晴雄) 

数年ぶりに広島を訪れた。大都市の多くでは昭和30年代からのモータリゼーションの波を受け路面電車は消滅したが、広島市では健在だ。

広島駅電停から広島電鉄の路面電車にゴトゴト揺られ、近代化された街並みをゆくこと約20分。原爆ドーム前電停で降車すると、緑に囲まれ立つ原爆ドームを前に人々が手を合わせていた。原爆ドームのある現在の平和記念公園一帯は、かつては賑やかな繁華街だったと聞く。呉服屋や料亭、映画館などが連なり、たくさんの笑顔が行き交っていたのだという。

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しかし、ときは194586日午前815分、広島上空より米軍のB-29爆撃機エノラ・ゲイが原子爆弾を投下しその風景は一変した。白閃光とともに強烈な爆風と衝撃波が起き、まちは焦土と化し多くの尊い命が失われた。現在の原爆ドームにあたる広島県産業奨励館はレンガ壁と天井ドームの鉄骨を残して崩れ去った。

 

そのとき、広島電鉄の路面電車はラッシュ時だった。爆心地付近を走行中の車両は全焼大破。支柱は倒壊し全線不通となった。そんな絶望的な状況のなか、広島電鉄の社員らは、人や物資を運ばねばならないという使命感のもと懸命に復旧作業を進めた。そして被爆から3日後、一部区間での復旧運転に奇跡的にこぎつけた。荒廃したまちを馴染ある路面電車が走るさまを見て、市民は大いに勇気づけられたという。

 

それから70年余りのときが流れた2016527日、オバマ大統領が米国の現職大統領として初めて平和記念公園に訪れた。そして、原爆死没者慰霊碑に献花し哀悼の意を示した。歴史的な一歩だと多くの歓迎の声が上がった。

核兵器のない平和な世界を築いていくには時間がかかるかもしれない。ただ、広島の歴史を各々が知り、想像力を養いながらそれを未来に伝えていくことで実現できる日が来ると信じたい。復興のシンボルとして市民を勇気づけてきた広島電鉄の路面電車。今日もたくさんの人々を乗せ、広島市内を力強く走りつづけている。

   (「86日と広島電鉄の路面電車」 絵画と文 井上晴雄/『旅の眼124号』掲載

宮本武蔵駅のある智頭急行を行く

「宮本武蔵駅のある智頭急行を行く」

                     絵と文 井上晴雄

 全国には珍しい駅名がいろいろあるが、岡山県には宮本武蔵駅という歴史的人物の名を冠した駅がある。付近が剣豪・宮本武蔵のふるさとだと伝わることから名づけられた駅だ。宮本武蔵駅があるのは兵庫県の上郡から鳥取県の智頭に至る智頭急行智頭線の沿線。岡山県の北東部に広がる美作市に位置する。

 

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ある晴れた日の昼下がり、JR山陽本線の電車で兵庫県赤穂郡の上郡駅まで出て智頭急行の普通列車に乗り込んだ。青色と白色をベースにした一両編成の気動車はトンネルを貫きながら千種川に沿う山間をゴトゴト北上していく。平成6年(1994年)に開通した智頭急行は全長56.1kmの第三セクターの鉄道である。連なる山々の間に広がる田園や小さな集落を映しだしながら、星空がきれいなまち佐用町を過ぎると列車は岡山県美作市に入っていく。

 

上郡駅から40分ほど列車に揺られ到着した宮本武蔵駅は小さな無人駅だった。裏山には山水が澄んだ音を立て、田畑のわきには紫陽花がピンク色に水色に染め競っている。宮本武蔵駅で途中下車し15分ほど南にのびる道をたどると「武蔵の里」と称される一帯にたどり着く。天正12年(1584年)に生まれた宮本武蔵はその長閑な山里で幼少期を過ごしたと伝えられている。界隈には宮本武蔵生誕地記念碑や生家跡、二刀流を編み出したとされる讃甘神社など武蔵ゆかりの史跡が多く残されていた。

 

宮本武蔵駅を出ると智頭急行の列車は因幡街道をなぞりながら大原宿の最寄駅である大原駅へと向かう。因幡街道の宿場町として発展した大原は、なまこ壁や虫籠窓の町家が並ぶ往時の風情を色濃く残すまちだ。鳥取県に入り、駅がピンク色で恋が叶うとされる恋山形駅を出ると終点の智頭駅までは6kmほど。智頭駅はかつて鳥取県最大級の宿場町として栄えた智頭宿の最寄駅。因幡街道と備前街道が合流する地にある智頭宿には杉玉を下げた古い家々が連なりこちらもまた味わい深い。

(智頭急行と宮本武蔵駅 絵と文 井上晴雄/『旅の眼122号』掲載)

かつて炭鉱で栄えた路線、JR日田彦山線を旅する (絵画と文)井上晴雄

かつて炭鉱で栄えた路線、JR日田彦山線を旅する                

                                      絵と文 井上晴雄
 

 久しぶりに九州にやってきた。北九州市の小倉駅に着くと大分県の日田へ向かう二両編成の気動車がホームの端から出発しようとしていた。

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 小倉駅を後にした日田行の気動車はJR日豊本線をしばらく走ると、城野駅からJR日田彦山線に入る。JR日田彦山線は全長68.7kmの路線で、もとは筑豊地域や平尾台で産出した石炭や石灰石を運ぶ目的で敷かれた路線だ。
 
 
 志井公園駅を過ぎるとのどかな田畑が車窓に広がり、その先には石灰岩の山々が連なりはじめる。銅を扱った採銅所駅や石灰石を扱った香春駅などを過ぎ、かつて炭鉱地帯の中核として栄えた田川伊田駅で途中下車した。  
 
  田川伊田駅から5分ほど坂道を上ると石炭記念公園があり、炭坑節で唄われた2本の煙突や、石炭を輸送したSL、竪坑櫓などを見学できた。ちなみに炭坑節は炭鉱労働のなかで自然発生した民謡で田川市を発祥とする。そのなかにこのような節がある。「香春岳から 見下ろせば 伊田の竪坑が 真正面 12時下がりの サマちゃんが ケージにもたれて 思案顔 サノヨイヨイ・・」

  石炭記念公園の一角からは、そんな炭坑節に登場する香春岳の山容を一望することができる。石炭の衰退から久しく、眼下に広がる伊田のまちなみからは、当時の面影をうかがい知ることは難しい。ただ、石灰岩が削られ平らな形になった香春岳の山容がその歴史を物語っているようで、何ともいえない気持ちになった。  
 田川伊田駅から再び日田行の普通列車に乗車。添田駅を過ぎると英彦山の峠越えだ。緑の山々が両側から迫り、列車は力強く山間のカーブを描く。彦山駅を出ると全長4380mの釈迦山トンネルに入る。出口がなかなか見えてこない長いトンネルから出ると筑前岩屋駅に到着。既に日は落ち、薄藍色に染まった山々ではヒグラシが美しい音色を奏でていた。  
 木造駅舎の宝珠山駅を過ぎると列車は大分県に入る。夜明駅からJR久大本線に入ってしばらく走ると終点の日田駅にたどり着く。
 
      (「かつて炭鉱で栄えた路線JR日田彦山線を旅する 絵と文 井上晴雄/『旅の眼121号』掲載)

漱石が描いた小説の世界を味わえる、伊予鉄道の「坊っちゃん列車」 (愛媛県松山市)絵と文 井上晴雄 

漱石が描いた小説の世界を味わえる、伊予鉄道の「坊っちゃん列車」 (愛媛県松山市)   絵と文 井上晴雄

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数年ぶりに松山に訪れた。松山は愛媛県中部に位置する歴史漂うまち。その一角には日本三古湯のひとつに数えられる道後温泉が湧く。道後温泉にはさまざまな文人墨客が訪れたとされるが、そのひとりに文豪・夏目漱石がいた。漱石は明治28年(1895年)に愛媛県尋常中学校の英語教師として松山に赴任し1年余滞在。その後、そのときの体験をもとに小説「坊っちゃん」を執筆した。

道後温泉の中心部には、そんな漱石が足繁く通ったとされる公衆浴場の道後温泉本館が立つ。振鷺閣と呼ばれる望楼を構える木造三層楼の建物である。花崗岩でできた浴槽にはすべすべした無色透明の湯があふれ、身体を芯から温めてくれる。

道後温泉本館から土産屋が軒を連ねる商店街を抜けていくと、伊予鉄道の道後温泉駅が見えてくる。道後温泉駅は明治時代の旧駅舎を再現した木造二階建てで、そのレトロな雰囲気がいい。時刻表を見ると「坊っちゃん列車」がもうすぐ入線してくるとのこと。急遽乗車してみることにした。

坊っちゃん列車は明治時代から昭和初期にかけて活躍した蒸気機関車をモデルに復元された列車。小説「坊っちゃん」には次のような記述がある。「乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない」

しばらくすると、幅2mほどの客車を2両連結させた小さな機関車がホームに入線してきた。まさしく漱石の「マッチ箱のような汽車」という表現にぴったりの車両だ。乗客たちが乗り込むと、汽笛をあげて坊っちゃん列車は道後温泉駅を出発。

客車は床も座席も板張りだ。スピードが遅くてしかもガタガタ揺れる。しかしこれが何とも味わい深い。やがて坊っちゃん列車は市内の繁華街へ。商店が連なる大街道を過ぎると松山城の堀端を走る。松山城は勝山山頂に立派な天守閣を構える平山城だ。愛媛県庁や松山市役所を過ぎ南堀端から南へしばらく走ると終点の松山市駅に到着した。

 (伊予鉄道坊っちゃん列車と道後温泉駅 絵と文 井上晴雄/『旅の眼120号』掲載)

絵画「パレットタウンの大観覧車と東京スカイツリーの夜景(「旅の眼」掲載)」 東京都江東区 絵と文:井上晴雄

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「パレットタウン大観覧車と東京スカイツリーの夜景」

                                   絵と文 井上晴雄

 

日本屈指の観光スポットとして知られる東京都お台場。近代的な建築物や商業施設が並び、修学旅行のコースとしても定着している。

 

お台場の起源は江戸時代に遡る。1853年、ペリー艦隊が日本に来航し幕府に開国を迫った。危機感を募らせた幕府は、品川沖に11基の台場を建造し対抗する計画を立てる。結局建造した砲台は一度もつかわれることはなかったが、一帯の埋め立て工事が以降進められ臨海副都心が形成されていくことになった。1941年東京港が開港、1976年に首都高速湾岸線東京港トンネルが開通し、1993年にはレインボーブリッジが芝浦と台場間を結んだ。近未来的な街並みが姿をあらわすとともに、お台場は美しい夜景を望めるデートスポットとしても人気を博すようになった。

 

空が澄んだある日の黄昏時、お台場の南端に立つテレコムセンタービル21階の「テレコムセンター展望台」に訪れた。「テレコムセンター展望台」は日本夜景遺産に登録されている、お台場随一の夜景名所である。広く切り取られた窓から北の方角を眺めると、湾岸に立つパレットタウンの大観覧車がまばゆい光を放ちながら回りはじめていた。ピンク色から青色にその色彩が変わったかと思うと、次は勢いよく回転して七色へと変化していく。それとともに、眼下のまちにはまるで星屑が降り積もっていくように無数の明かりが灯っていった。

 

いつしか銀河のようになった光の渦のなかを、新橋と豊洲間を結ぶ「新交通ゆりかもめ」の車両がゆっくりと駆け抜けていく。重なり合う有明のビル群の先には、ライトアップされた東京スカイツリーが淡く浮かびあがり、鏡のような東京湾の海面に映りだしていた。キラキラと一途にまたたく東京の明かり。そこには、さまざまな人の夢や願いが重なり合っているのかもしれない。夜が深まるとともに、ますます華やかさを増していくお台場の夜景はどこまでも美しく、心にしっとりした安らぎと未来への希望を感じさせてくれた。

(絵画「パレットタウンの大観覧車と東京スカイツリーの夜景)」 絵と文:井上晴雄/『旅の眼119号』掲載

絵画 「田園風景を行くJR武豊線の列車」 絵と文 井上晴雄

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 「田園風景を行くJR武豊線の列車」

~明治時代に開通した知多半島を走るローカル線~

 

                   絵と文 井上晴雄

 

愛知県の南西部に位置し三河湾と伊勢湾に挟まれてのびる知多半島。その東部に全長19.3kmのローカル線が走っている。愛知県大府市の大府駅と知多郡武豊町の武豊駅間を約30分で結ぶJR武豊線だ。

 

武豊線の歴史は古く、その敷設は明治時代にまでさかのぼる。新橋駅と横浜駅間に日本初の鉄道が開業したのは明治5年(1872年)のことだ。その後、東京と大阪を結ぶ幹線鉄道の建設が構想されることになるが、それには大量の建築資材が要った。そこで、海外からの建築資材を知多湾に面する武豊港から積み上げる計画がもちあがった。そのとき武豊港に陸揚げされた建築資材を輸送する目的でつくられたのが武豊線だった。

 

明治19年(1886年)に武豊線は開通。英国製のSLが、武豊港で陸揚げされた建築資材を運搬し、東海道本線の敷設に大いに貢献した。東海道本線は明治22年(1889年)に無事に開通し、武豊線は当初の役割を終えることになる。しかしその後も地元の要望などから武豊線は存続されることとなり、以降は酒、味噌といった食品や機械製品などを運搬して地元の発展にも大きく寄与した。現在では沿線のベッドタウン化が進み、その役割は物流から通勤・通学客を運ぶことに移行している。一方で、明治19年(1886年)築の亀崎駅や明治42年(1909年)築の半田駅の跨線橋をはじめ、沿線には武豊線の長き歴史を物語る建造物が多く現存し、昔ながらの豊かな自然も残されている。

 

ある日の昼下がり、武豊線の古びた駅で途中下車した。集落をのびる細い道を歩いていくと、アキアカネが飛び交う青空の下に、のどかな田園風景が広がった。黄金色に染まる稲穂が秋風に吹かれて静かに揺れ、淡く浮かびあがっている。明るい田んぼの向こうには、名古屋方面に向かう二両編成の列車がゆっくりと横切っていく。時代の流れとともにその役割を少しづつ変えながら、武豊線の列車は今日ものんびり知多半島を走っている。

絵画 「大井川鐵道、新金谷駅にて」(元南海電鉄ズームカーとの再会)静岡県島田市  絵と文:井上晴雄

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大井川鐵道、新金谷にて

元南海電鉄ズームカーとの再会) 静岡県島田市

                           絵画と文 井上晴雄

 もうかれこれ30年近く前のこと、まだ小さい子供だった私は、南海電鉄高野線の電車にひとり乗って、和歌山県の高野山まで旅をしたことがある。そのとき私を高野山方面に連れていってくれたのは、21001系ズームカーと呼ばれる急行列車だった。難波駅から橋本駅までの平坦区間を時速100km近い速度で走り、橋本駅から極楽橋駅に至る山岳地帯は低速に切り替え勾配を力強くのぼっていった。そして車窓には、靄のなかに深遠なる高野の山々が連なるのが見え心躍った記憶がある。そんなズームカーは、平成9年には南海電鉄から姿を消した。

 最近、そのときの鉄道車両と思いがけず再会する機会があった。場所は静岡県に路線を持つ大井川鐵道である。引退後、南海電鉄の21001系ズームカーの一部は同鐵道会社に譲渡されていたのだ。大井川鐵道の大井川本線は、静岡県島田市の金谷駅から、寸又峡の入り口にあたる榛原郡川根本町の千頭駅までの39.5kmを結ぶ路線だ。大井川本線といえばSL急行「かわね路号」が運行していることで有名だが、私鉄の看板車両が第二の人生を歩む路線としても知られている。ちなみに2013年現在、元南海電鉄のズームカー21001系のほかに元近畿日本鉄道の特急車両16000系と元京阪電鉄の特急車両3000系も同路線にて活躍中である。

 昭和のまま時が止まったような新金谷駅の構内。ホームにゆっくりと元南海電鉄のズームカーは入線してきた。うす緑の車体に濃い緑のライン。往時と全く同じ姿である。しばらくするとワンマン運転のその普通列車はホームを後にした。軽やかなジョイント音を立てながら茶畑のなかを縫い、南アルプスへつづく蒼い山々を車窓に映しだしていく。五和駅を過ぎると悠々と流れる大井川が迫ってきた。鉄橋を力強く渡りトンネルをくぐっていく。曲がりくねるレールの先には、30年前と同じような明るくやわらかい光が差し込んでいた。

(絵と文:井上晴雄/絵画 「大井川鐵道、新金谷駅にて」(元南海電鉄ズームカーとの再会)静岡県島田市/「旅の眼」掲載) 

絵画「天竜浜名湖鉄道の列車、国登録有形文化財の天竜川橋梁を行く(「旅の眼」掲載」)」 絵と文:井上晴雄

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「天竜浜名湖鉄道の列車、国登録有形文化財の天竜川橋梁を行く」<br />
                  絵と文 井上晴雄

「天竜浜名湖鉄道の列車、国登録有形文化財の天竜川橋梁を行く」
                  絵と文 井上晴雄

静岡県を走る天竜浜名湖鉄道の西鹿島駅から秋葉街道に沿う道をしばらく北上すると、天竜川と交差した。天竜川の澄んだ水は瀬音を立てながら遠州灘に向かって優雅に流れ、時おり飛沫が川面をキラキラ煌めかせている。下流方向には雄大な橋が浮かび上がっていた。長さ403mの天竜川橋梁である。橋の上には天竜浜名湖鉄道の線路が東西に延びていた。

天竜浜名湖鉄道は静岡県の新所原から掛川までの66.7kmを結ぶローカル線だ。その前身は昭和15年に開通した国鉄二俣線。旧国鉄の第二次廃止対象特定地方交通線になったことで、昭和62年に第三セクター鉄道として再スタートをきった。それから四半世紀近い月日が流れた現在、天竜浜名湖鉄道は地元の人々の通学や通勤の足として欠かせない存在となるとともに、観光鉄道としても注目されるようになった。浜名湖や茶畑が展開する美しい車窓風景の魅力は然ることながら、沿線の主要施設36カ所(平成24年現在)が国の登録有形文化財に指定されていることも観光客たちの関心を集めているのだ。天竜川橋梁もそのひとつで、鋼製七連橋桁と三連トラス橋からなるそのたたずまいには、昭和16年竣工当時の面影が残る。

無数の小石が連なる天竜川の河畔に陽光がやさしく差しはじめた時刻のことだった。「ガタンゴトン、ガタンゴトン」。山峡の風を割るようにレールを軋ませる音が渓谷に鳴り響き、白い一両編成の車両が青空の下に現れた。天竜浜名湖鉄道の列車だった。川面にその姿が映しだされたかと思うと、見上げる橋梁の上を力強く駆け抜けていった。

一瞬の出来事だった。列車が走り去ってしまうと、天竜川の瀬音だけを残して、また静けさが渓谷を包み込んでいった。大人になって忘れかけていた感動のかけらを思い出したような気がふとして、心地よい余韻に浸りながら列車が過ぎ去った橋梁をずっと眺めていた。

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