東京湾を航行する御座船 安宅丸(絵画と文 井上晴雄)

東京湾を航行する江戸情緒ある船「御座船 安宅丸」

                                    絵画と文 井上晴雄
お台場は東京湾に囲まれており、さまざまな船が行き来している。時折、楼閣を持つ江戸情緒のある船がテレコムセンター周辺の海上を通過するが、それは東京都観光汽船が運行する「御座船 安宅丸(ござぶねあたけまる)」である。

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江戸時代、西国や九州の大名たちは参勤交代で瀬戸内海を行き来していたと伝えられる。
その際に、殿様御召船としてつくられた船は「御座船」と呼ばれていた。
昭和63年、御座船の時代考証がなされ現代風に再現された御座船 備州」が瀬戸内海を航行するようになった。
以降、それが改称し東京湾でも運行するようになったのが、「御座船 安宅丸」である。葵の御紋をなびかせ東京湾を行き交う「御座船 安宅丸」の姿は、今や東京湾の風物詩にもなっている。日の出~青海(船の科学館)の片道約30分の定期便のほか、日の出を起点とする周遊運行ルート(デイクルーズ40分/ナイトクルーズ90分)などもあり、江戸情緒を味わいながら、海上に展開するお台場や東京都心の景色を堪能できると人気

(「東京湾を航行する御座船 安宅丸」 絵画と文 井上晴雄)

絵画「東京ゲートブリッジと東京湾の夜景」(テレコムセンター展望台からの夜景) 絵と文 井上晴雄

      

  「東京ゲートブリッジ東京湾夜景」                                                                     絵画と文   井上晴雄

 2012年2月12日、「東京ゲートブリッジ」が開通した。東京ゲートブリッジは、東京都大田区城南島と江東区若洲の間を結ぶ橋で、全長2618m、高さは87.8mあり東京港臨海道路一部を成している。恐竜が向かい合っているような形から「恐竜の橋」とも呼ばれている。

「東京ゲートブリッジと東京湾の夜景」(テレコムセンター展望台からの夜景)絵 井上晴雄

 

同年4月25日からは橋のライトアップも始まった。陽が沈むと東京湾の海面は、深い群青色に染まっていく。はるか先につづく房総半島にまちのあかりがともりはじめると、海の上には一筋の光の線がのびる。東京ゲートブリッジの点灯がはじまるのだ。橋の側面に設置された886台のLED(発光ダイオード)が月ごとの色調で点灯。そして、トラスに設けられた492台の白色照明が約4分かけてゆっくりとともり、橋を優美に照らしだしだす。息をのむひとときである。時間が経過するにつれ、暗く沈みゆく東京湾に東京ゲートブリッジはその姿をくっきりと浮かび上がらせる。時おりお台場から出航する船が、船内のあかりを海面に映しながら、沖に遠ざかり東京ゲートブリッジの下をくぐっては消えていくさまも何とも言えない情緒がある。

※東京ゲートブリッジのライトアップは、日没から深夜0時まで行われている。ライトアップの色には季節がイメージされ、月ごとに変化していく。
【東京ゲートブリッジのライトアップ 月ごとの色】
1月 白金色 2月 真珠色 3月 若草色 4月 新緑色  5月 青葉色  6月 水色  
7月 海色  8月 空色  9月 桔梗色 10月 秋草色 11月 紅葉色 12月 緋色

絵画「青海コンテナ埠頭の夜景」~テレコムセンター展望台からの夜景~ 東京都江東区 絵と文:井上晴雄

「 「青海コンテナ埠頭の夜景」~テレコムセンター展望台からの夜景~(絵)井上晴雄
                  青海コンテナ埠頭の夜景」
  
            

                                             絵画と文 井上晴雄

テレコムセンター展望台の南側には青海コンテナ埠頭が広がっています。青海コンテナ埠頭は昭和60年(1985年)から運用が始まった埠頭で、首都圏を代表する物流拠点のひとつです。国内外からコンテナ船が就航し、コンテナの積み降ろしや保管が行われています。

それぞれのコンテナには、電気機器、衣類、パルプ、自動車部品、食品といった産業を支える物資の数々が積まれています。岸壁に並んでる12基のガントリークレーンがそれぞれのコンテナを船から吊りあげ、待機しているトレーラーがそれらを積んで、各地に出発していきます。

日が暮れると、青海コンテナ埠頭には、ナトリウム灯が煌々と灯り、景観に一層、あたたかみのある輝きが増していきます。対岸にある羽田空港から離発着する飛行機の明かりも夜空にアクセントを与えます。その産業の躍動を感じさせる力強い夜景を眺めていると、つい時間が経つのを忘れてしまいそうです。

絵画「東京湾と青海埠頭」 東京都江東区 絵と文:井上晴雄

「東京湾と青海埠頭」 東京都江東区

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この通路の眼下に広がるのは、「東京湾」と「青海埠頭」の景色です。晴れた日の朝から夕方にかけて、窓外には、陽を受けキラキラ輝く東京湾と、朱色のガントリークレーンが印象的な青海埠頭の景観が広がります。青く透きとおった海面には、大型コンテナ船やユニークな形をした遊覧船がゆったりと行き来します。やわらかな陽光が展望内にもやさしくさしこみ、思わず時間が経つのも忘れ、幸せな気持ちにさせてくれる場所です。

青海埠頭の岸壁には、12基ものガントリークレーンが、約1570mにわたり立ち並んでいます。ガントリークレーンの主な役割は、東京港に寄港するコンテナ船から荷降ろしをすることです。さまざまな国からやってくるコンテナ船からコンテナを吊り上げ、岸壁側に移動させるのです。

青海埠頭は1985年からその運用が始まり、戦後の高度成長期につくられた晴海埠頭や豊洲埠頭などと並び、今や、東京港の中核を担う物流拠点のひとつにまで成長しました。

東京港はバンクーバー、シアトル ロサンゼルス、釜山、シンガポール、マニラ、コロンほか、さまざまな国の主要港と結ばれています。国境を越え、はるかなる国々とつながっていることを想像すると、わくわくしてきませんか。
                    (絵画と文 井上晴雄)

絵画「テレコムセンター展望台の夕景」 ~夕陽に染まる、船の科学館と品川のまち~/東京都江東区 絵と文:井上晴雄

 「テレコムセンター展望台の夕景」
~夕陽に染まる、船の科学館と品川のまち~東京都江東区

                                            絵と文 井上晴雄

 西日がビルの屋根から射した夕刻、テレコムセンター展望台から西の方角の視界は茜色に染まっていった。眼下には「船の科学館」(※1)のシルエットが浮かびあがり、穏やかな東京湾の先には、品川のまちなみ(※2)が、夕焼け空の下に霞みながら広がっていた。物音ひとつしない静かな夕暮れ空と海の色彩が深みを帯びるにつれ、東京湾の沿岸には、品川埠頭(※3)のナトリウム灯の明かりが輝きはじめた。
夕陽に染まる「船の科学館」と「品川埠頭」(テレコムセンター展望台から眺める夕景/絵と文 井上晴雄)
(※1)「船の科学館」・・船や海運にまつわる資料を展示している博物館。(平成24年1月現在)リニューアル準備のため、本館での展示は休止中だが、南極観測船宗谷など、屋外展示物などは展示中。

(※2)品川は、首都圏を代表する交通の要所であり、高層ビル群が立ち並ぶ。近代的なまちなみには、歴史の一面も垣間見られる。たとえば、赤穂義士が眠る泉岳寺や、東海道の宿場として栄えた品川宿のあった界隈などだ。「泉岳寺」は慶長17年(1612年)、徳川家康が建てた寺。境内には赤穂浪士四十七士の墓所があり、本堂には大石内蔵助の守り本尊も納められている。「品川宿」は、東海道五十三次の一番目の宿場として江戸時代に栄えた。当時は千住宿(日光街道・奥州街道)、板橋宿(中山道)、内藤新宿(甲州街道)と並び江戸四宿に数えられていた。現在では、北品川から鈴ケ森までの約4kmに、江戸時代と変わらぬ道幅が「旧東海道」として残るなど、当時の面影もまちの随所に見られる。
 

(※3)「品川埠頭」 
品川埠頭は、昭和24年(1949年)に東京湾修築5カ年計画によりつくられた埠頭である。品川外貿埠頭(延長570m)、品川内貿埠頭(延長475m)、コンテナ埠頭(延長555m)から成る。コンテナ埠頭は、昭和42年(1967年)に、日本で初めてフルコンテナ船が寄港した埠頭としても知られ、中国、韓国、東南アジアといった近海航路の物資を扱っている。品川埠頭の取り扱い品目は、主に、機械類、海産物、パルプ、砂糖など。

 

絵画「東尋坊の夕陽」(福井県坂井市) 絵と文 井上晴雄 


「東尋坊の夕陽」(福井県坂井市)

                                       絵画と文 井上晴雄

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 北陸随一の景勝、東尋坊へは、三国観光ホテル(東尋坊温泉)から車で10分ほど。台風が過ぎ去った秋晴れの日、東尋坊に向かうバスを降りると、岬は夕陽色に染まっていた。眼下には、巨大な奇岩群が海中から突き出して連なり、その先には、日本海の大海原が、沈みゆく太陽を映しながらキラキラ輝いている。光る波がゆっ
たりと岸壁に打ち寄せ、何もかもが幸せに包まれるひととき。淡く霞む沖には、東尋坊を巡る遊覧船が船尾を引いて、ゆっくりと横切っていく。

  東尋坊は、福井県坂井市の北西端にある海食崖である。高さ25mにも及ぶ輝安山岩の岩柱が約1kmにわたりつづく。その厳しい自然環境からも、東尋坊には、悲哀に満ちた伝説が数多く語り継がれてきた。しかし時代は流れ、現代では「恋人の聖地」として広く知られるようになった。東尋坊に降り注ぐやさしい陽の光に包まれて、恋人たちは、今日も永遠の愛を誓い合う。

      

  日が水平線に吸い込まれると、残照が海面を仄かに照らし、東尋坊はうす藍色のなかに次第に溶け込んでいく。沖には、ポツリポツリと漁火が灯りはじめた。

   「東尋坊の夕陽」 (福井県坂井市)/日本の風景/絵と文 井上晴雄/2011年10月制作

絵画「瀬戸大橋と夕陽~鷲羽山にて~」(岡山県倉敷市) 絵と文 井上晴雄

絵画「瀬戸大橋と鷲羽山」

「瀬戸大橋と夕陽(鷲羽山にて」)」(岡山県倉敷市)                             絵画と文 井上晴雄 

 先日、JR瀬戸大橋線児島駅からバスに揺られ、夕陽の名所として知られる岡山県の鷲羽山に足を運んだ。夕刻まで空は雲で覆われていたものの、第二展望台に上ると、雲の切れ間から西陽が差し込み、海は茜色に染まりはじめた。沖に目を遣ると、雄大な瀬戸大橋と塩飽諸島のシルエットがくっきりと浮かびあがっている。そのダイナミックな光景に圧倒され筆を執った。輝く潮の流れには、ゆっくりと漁船が行き交い、まるでときが止まってしまったかのようだ。

(絵画「瀬戸大橋と夕陽~鷲羽山にて~」(岡山県倉敷市) /作品 絵と文 井上晴雄)

→地図(岡山県 鷲羽山)

絵画「関門海峡の夜景」 山口県下関市     絵と文 井上晴雄

「関門海峡の夜景」(~下関から北九州へとつづくまちあかり~)                                                      

                                    

黒く茂る木々の隙間から、星屑のようなまち明かりが広がった。紫色に染まる空の下には、雄大な関門海峡大橋が座り、その上には、絶え間なく車が行き交っていた。海峡には、ゆっくり往来する一艘の船。海岸に沿って埠頭の灯りが点滅し、下関の市街地の背後には、北九州市の明かりが横たわっている。こんな夜遅い時間なのにまちは動いていた。    人間の一生は、街の歴史からしたら短くはかない。ただそんななかでも、ひとつでも多くの感動を積み重ねて生きていきたいと思う。

絵画「関門海峡の夜景」

(山口県 下関市/「関門海峡の夜」 /作品 絵画と文 井上晴雄/夜景鑑賞士(夜景検定)/風景)

→地図(山口県 下関)

絵画「黒潮の夜明け」  絵と文:井上晴雄

絵画「黒潮の夜明け」/風景


高くそびえる黒潮の向こうから 輝く朝陽が差し込んだ

人生は一度きり 

 過ぎゆく一日一日に感謝して

  一分一秒 大切に過ごしたい

「黒潮の夜明け」絵画と文:井上晴雄。
         
 季節は初冬。私は南国に向かうフェリーに揺られて
いた。寒々とした突風が甲板に吹きつけ、船は、
海のなかに今にも飲み込まれるかのように揺れていた。
どこまでも深い暗闇に激しい水しぶきが立ちあがり、
身震いがした。ただ、そのときを待った。
 明朝、東の空がかすかに藍色に染まってきた。
そのときだった。水平線上から、突然、光が射し込んだ
まばゆいばかりの朝陽は、またたく間に空気を溶かし、天空を錦色に
染めあげた。うねる波はくっきりと姿を現わし、滑らか
にキラキラと輝きはじめた。待ちに待った朝がやって
きたのだ。
 人生には 絶望の縁に立たされることもある。辛さや
悲しさに打ちひしがれることもある。しかしそんなとき
も、舵をこぎづつけ、ときを待てば 必ず陽は上がって
くる。明るい夜明けは、必ずやってくる。

(作品 絵と文:井上晴雄./F8号/2007年6月制作/絵画 海のある風景)

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絵画「長崎の夜景」(絵画/夜景のある風景)長崎県長崎市   絵と文:井上晴雄。

絵画「長崎の夜景(稲佐山)」 戦後六十年
稲佐山の上から
長崎の夜景を 一晩中眺めた

宝石を散りばめたような
まちの灯りを見ながら ふと思った

 生きるとは
 心のなかに 想い出という灯で
かけがえのない夜景を つくることではないか

     「長崎の夜」 長崎県長崎市

                 絵と文:井上晴雄

1945年(昭和20年)8月9日午前11:02。上空を飛ぶ一機の飛行機から、長崎市内に向けて原子爆弾が投下された。爆弾は、長崎市の中心部から約3km離れた浦上地区において炸裂。閃光とともに上空にキノコ雲が上がった。爆風と灼熱地獄がまちを襲い、一瞬にして、市内の建物の36%が全燃・倒壊、7万2千人もの尊い命が失われた。辛うじて生き残った人々にも、その後、放射能を帯びた死の灰と雨が降り注ぐこととなる。人々は絶望の底に沈み、まちは暗闇に包まれた。

 終戦から約60年の年月が経つ日、私は、長崎市内を望む稲佐山に登った。鬱蒼と茂る木々の並びを抜けていくと、目の前に、煌めく無数の灯りの渦が広がった。あまりの美しさに立ちすくんだ。

 その夜景を眺めたとき、長崎が、原子爆弾の被災地だということを一瞬忘れてしまった。その明かりの数々は、優雅そのものだったからだ。ただ紛れもなく、長崎市の戦後は、あの一瞬からはじまった。無言でキラキラ輝くその光の渦を見たとき、涙が止まらなかった。暗闇に包まれた死のまちから、ここまで辿りつくまでには、想像を絶する労苦があったに違いない。この明かりは、60年という歳月をかけて、人々が手と手を取り合ってまちを復興させてともした、命の明かりなのだ。

 現代は、衣食住が当たり前に提供される時代となり、戦争は、昔話として風化されつつある。しかし、私たちは、戦争でたくさんの大切なものを失ったことを忘れてはならない。また、今現在も その後遺症で苦しんでいる方が多数おられることも知っておかねばならない。

長崎の夜景を見渡しながら、この美しい明かりを二度と消してはならないと思った。
世界に恒久の平和が訪れるよう、祈りを込めて絵筆を強く握りしめた

□九州地方の旅行ガイドはコチラから

【JTB】九州のおすすめ旅館・ホテル

(作品:2007年8月制作/F12号/長崎県長崎市/夜景鑑賞士(夜景検定)1級/絵画と文:井上晴雄/風景)

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